翌日日記。

そいえばいそいそ掃除してたら、インターホンがなった。廊下でガンガンに音楽かけてたので、ああ〜めんどくさいな〜、いるのバレてるな〜と思ってインターホンを取ると。
「貴方は、聖書をお読みになったことがありますか?」
キリスト教な人が現れた!
ウロ覚えですが書き起こしてみると
「人は与えられる喜びより与える喜びを知りなさい」的なことを申されておった。
それは、まぁそうですが、与えられる喜びも与える喜びも両方無理なく享受して与えればいいんでないかい?てかそれはわざわざ言うほどのことかなー?当たり前のことでないか…?
とインターホンで話した後(会話自体は適当に相槌うって終わった)そう思った。
でも自分に揺らぎのある人とゆーか確固たる信念とかがない人は大多数であるところの宗教の教えを自分のものにすることによって大多数派になることで安心を得るのかな…。
共感できるのが大前提だが…。
そう思うと宗教とゆーのはたしかに多くの人を救っているのだろうなー、と思う。
けど私は別に宗教なくてもそれなりにやってるので、ええですわー。とかそんな考えに至るのであった。実家は仏教ですがネ。
聖書…わからない…。ホテルとかの枕元の引き出しの中とかにあるよね…聖書…。